書評『わかりあえないことから』
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
- 作者: 平田オリザ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/10/18
- メディア: 新書
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コミュニケ−ションとは何かという根本のところから、考えさせられました。
グローバル化、社会の成熟化に伴い、価値観が多様化してきている日本社会において、コミュニケーションの変化も求められていると書かれています。
いわゆる「あうんの呼吸」「空気を読む」的な日本型コミュニケーションは、世界では少数派である。それはそれで、組織一丸となって、動きやすいなどのメリットがあるが、価値観の異なる世界では、通用しないと。
価値観の異なる国が隣り合う欧米では、コミュニケーションが「わかりあえない」ことを前提としており、自分の事をきちんと説明しなければならない。
この説明をするという事は虚しいことだともしています。
例えば、日本人であれば、同じイメージを描くことができる「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」といった事を説明しなければならない。
柿を食べていたら偶然鐘が鳴ったのか。
鐘が鳴ったから、柿を食いたくなったのか。
法隆寺はなんの象徴か。
こんな身も蓋もない説明を、他者に向かって繰り返していかなければならない。
こうした虚しさに耐えることこそ、価値観の異なる社会でのコミュニケーションであると。
今後、日本人一人ひとりの価値観が多様化していく中で、まず「わかりあえない」ことを前提に、対話する能力を磨けというメッセージが込められている本だったのですが・・・。
こうした何でも説明しなければならない社会になると、疲れるんだろうなと思ってしまいました。暗黙の了解とか、なんとなくわかると共感する、そうした空気感というものが失われてしまうと、日本らしさも損なってしまうのかなとも。
社会が成熟するとは何なのでしょうか。
価値観の異なる国が隣り合う欧米では、コミュニケーションが「わかりあえない」ことを前提としており、自分の事をきちんと説明しなければならない。
この説明をするという事は虚しいことだともしています。
例えば、日本人であれば、同じイメージを描くことができる「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」といった事を説明しなければならない。
柿を食べていたら偶然鐘が鳴ったのか。
鐘が鳴ったから、柿を食いたくなったのか。
法隆寺はなんの象徴か。
こんな身も蓋もない説明を、他者に向かって繰り返していかなければならない。
こうした虚しさに耐えることこそ、価値観の異なる社会でのコミュニケーションであると。
今後、日本人一人ひとりの価値観が多様化していく中で、まず「わかりあえない」ことを前提に、対話する能力を磨けというメッセージが込められている本だったのですが・・・。
こうした何でも説明しなければならない社会になると、疲れるんだろうなと思ってしまいました。暗黙の了解とか、なんとなくわかると共感する、そうした空気感というものが失われてしまうと、日本らしさも損なってしまうのかなとも。
社会が成熟するとは何なのでしょうか。